この世は不思議で溢れていますね。
前記事にも書いていた、面白本が読了しました
本の題名は、べつに紹介しなくてもいいかとも思ったのですが(笑)、まあ
一応、紹介しておきます。
コンノケンイチ著 「前世と生まれ変わりの超真相」
この手の本って、笑っちゃうようなものから、ちょっとへええ~って思うような
ものまでいろいろあるのですが、この本はわりに熱中して読みましたね。
というのも、私がつねづね考えていたことに似たことが書かれていたからなの
ですが。
例えば、体というのは、ほんとに自分の思い通りになりませんよね。
肝臓は勝手に脂肪を取りこんで脂肪肝になり、自分の意志では止められない
とか、せっかく臓器移植をして生きていこうとしているのに、体は異物として
排除しようとするとか。
「私の意志」に反するこの「意志」はいったいどこからくるものなのか。
一説には細胞すべてに「意志」があり、勝手に自殺する細胞もある、などと
いいますが、そんなこんなを考えていると、人の体というのはほんとうに宇宙の
縮図だよな、と思ったりします。
神様や仏様やキリストが、みんな仲良くせよ、自分だけ富をむさぼっては
ならぬ、分け与えよ、などといったところで、人間はいうことをききませんよね。
肝臓に、おのれだけ脂肪を取りこんで肥え太っても何にもならぬどころか、
そんなことをすれば命にかかわるわけで、そうなったらもちろん肝臓も運命を
ともにするのだから、と言ったところで通じないし(笑)
神様が人間に思っていることを、「私」も自分の体について思っているという。
そんなことを考えていると、まるでロシアのマトリョーシカ人形のようだな、
なんて思ったりしてたんですよね。
宇宙のありようがマクロだとしたら、その雛型、つまりミクロが人間。
ミクロの人間を包み込んで宇宙があり、その宇宙を包み込んでまた大きな
世界があるんだろうな、なんて。
この本でも紹介されていましたが、グレートウォール(宇宙銀河の大規模構造)
の立体マップは、まるで何かの神経組織のように見えるのだそうです。
私は、古来から神と呼ばれてきたものはすなわち「宇宙の意思」だと思って
いるのですが、いまは宇宙自体が巨大な思惟体ではないかという考え方も
されているのだそうで。
読んでるだけでワクワクしますよね(笑)
そのほか、細胞というのは原子核の周りを電子が取り巻いているもので、そこ
は隙間だらけであるということ。
これは学校でも習った覚えがありますよね。
このミクロの世界を追求する科学が「量子物理学」ですが、このミクロの世界
では、観察する人の意識が実験結果に決定的な意味を持つのだとか。
「波束の収縮」といって、人が見た瞬間に波がまとまって個のものになる、という
現象があるのだそうです。
つまり、「見るもの」がいないと「現象」は存在しないということですね
この現象は、別の本で読んだことがあって、そのときも驚いたのですが。
この著者は、そのミクロの世界に「思うものが具体化する精神世界である霊界
が浸み出している」といっているのですね。
霊界とこの世は背中合わせのようなものだから、と。
そういう考え方をするのは著者だけではないようで、量子物理学は別名「あの世
の物理学」とも呼ばれているのだとか。
うーん。
そこまでくると、自分の知識のなさゆえに、もうまーったくわかりませんが。
しかも、「霊界」「あの世」なんて言葉が出てくるともうとたんにトンデモ科学の
色合いが濃くなってしまうし(^^ゞ
でも、なんかワクワクしてしまいます(爆)
この本とは関係ない話なのですが。
以前に雨の中、通勤のバスを待っていたときにふと考えたことがありました。
足元が、レンガ敷きの歩道だったのですが、レンガとレンガの間の隙間に、
苔が生えていたのですね。
それをぼんやり見ているうちに、ある考えが浮かびました。
たとえば、その苔の中に棲むある微生物が、ひょんなことで進化して知性を
持ったとして。
何百世代もの世代交代をする悠久の時のなかで、その微生物なりの科学が
進んで、苔の世界から一歩外へ踏み出したとします。
微生物たちはびっくり。
今まで自分たちが暮らしていた苔の世界とはまるきり違う、堅いレンガの世界
を発見したのだから。
そこからまた悠久の時が過ぎ、なんと苔の世界と煉瓦の世界は交互に存在
していることをつきとめます。
そして、それがいくつかすぎたあとは、断崖絶壁となっていることに気づいて
世紀の発見となるのですね。
そこまででも微生物たちにはものすごい発見であり、科学の進歩なのだけど。
人間から見たら、レンガ敷きの歩道の上の一歩分であり、断崖絶壁というのは、
たんに歩道と車道の段差でしかなく。
また、ミクロの世界の微生物たちにとっては世界は自分たちだけだと思って
いるのが、実は彼らには想像もつかないような大きな人間たちが多数闊歩し、
世界の果てと思いこんでいる断崖絶壁の向こうにはアスファルトの車道が
あって、彼らには想像もつかない車や自転車が行き交っていて。
さらにその向こうには草原があって川が流れ、頭上には大きな空が広がって
いるのに、彼らにはきっといくら時間があってもそれらの発見はできないので
あろうと。
彼らにとって、何百もの世代交代のあった悠久の時というのも、人間から見た
らほんの数日のことにすぎないのかもしれないし。
で、その人間も、じつは宇宙から見たらその微生物のようなちっぽけな哀れな
存在であるという。
そこまで考えたときにバスが来て、乗り込もうと顔を上げたとたん、軽くめまい
がしましたね。
だって、ミクロの世界からいきなり戻ってきたから(爆)
雨の朝の通勤で気が滅入っていた私を、神様が神秘のベールをちょっと持ち
上げて見せて、元気づけて下さったのかもしれませんね・・・な~んて、私の
しょうもない考えをつらつらと書いてしまいましたが(^^ゞ
あの世があるのか、生まれ変わりはあるのか、そもそもこの世界はいったい
どういうわけで、誰の意志で存在しているのか。
世の中はわからないこと、不思議なことで溢れていますね。
死ぬときはそれらの一端でもわかるのでしょうか。
まあ、生きている今は、とりあえず世界に溢れている未読の本を一冊でも減ら
していきたいもんです。
そうしたら、少しはわかることもあるかもしれませんしね

本の題名は、べつに紹介しなくてもいいかとも思ったのですが(笑)、まあ
一応、紹介しておきます。
コンノケンイチ著 「前世と生まれ変わりの超真相」
この手の本って、笑っちゃうようなものから、ちょっとへええ~って思うような
ものまでいろいろあるのですが、この本はわりに熱中して読みましたね。
というのも、私がつねづね考えていたことに似たことが書かれていたからなの
ですが。
例えば、体というのは、ほんとに自分の思い通りになりませんよね。
肝臓は勝手に脂肪を取りこんで脂肪肝になり、自分の意志では止められない
とか、せっかく臓器移植をして生きていこうとしているのに、体は異物として
排除しようとするとか。
「私の意志」に反するこの「意志」はいったいどこからくるものなのか。
一説には細胞すべてに「意志」があり、勝手に自殺する細胞もある、などと
いいますが、そんなこんなを考えていると、人の体というのはほんとうに宇宙の
縮図だよな、と思ったりします。
神様や仏様やキリストが、みんな仲良くせよ、自分だけ富をむさぼっては
ならぬ、分け与えよ、などといったところで、人間はいうことをききませんよね。
肝臓に、おのれだけ脂肪を取りこんで肥え太っても何にもならぬどころか、
そんなことをすれば命にかかわるわけで、そうなったらもちろん肝臓も運命を
ともにするのだから、と言ったところで通じないし(笑)
神様が人間に思っていることを、「私」も自分の体について思っているという。
そんなことを考えていると、まるでロシアのマトリョーシカ人形のようだな、
なんて思ったりしてたんですよね。
宇宙のありようがマクロだとしたら、その雛型、つまりミクロが人間。
ミクロの人間を包み込んで宇宙があり、その宇宙を包み込んでまた大きな
世界があるんだろうな、なんて。
この本でも紹介されていましたが、グレートウォール(宇宙銀河の大規模構造)
の立体マップは、まるで何かの神経組織のように見えるのだそうです。
私は、古来から神と呼ばれてきたものはすなわち「宇宙の意思」だと思って
いるのですが、いまは宇宙自体が巨大な思惟体ではないかという考え方も
されているのだそうで。
読んでるだけでワクワクしますよね(笑)
そのほか、細胞というのは原子核の周りを電子が取り巻いているもので、そこ
は隙間だらけであるということ。
これは学校でも習った覚えがありますよね。
このミクロの世界を追求する科学が「量子物理学」ですが、このミクロの世界
では、観察する人の意識が実験結果に決定的な意味を持つのだとか。
「波束の収縮」といって、人が見た瞬間に波がまとまって個のものになる、という
現象があるのだそうです。
つまり、「見るもの」がいないと「現象」は存在しないということですね

この現象は、別の本で読んだことがあって、そのときも驚いたのですが。
この著者は、そのミクロの世界に「思うものが具体化する精神世界である霊界
が浸み出している」といっているのですね。
霊界とこの世は背中合わせのようなものだから、と。
そういう考え方をするのは著者だけではないようで、量子物理学は別名「あの世
の物理学」とも呼ばれているのだとか。
うーん。
そこまでくると、自分の知識のなさゆえに、もうまーったくわかりませんが。
しかも、「霊界」「あの世」なんて言葉が出てくるともうとたんにトンデモ科学の
色合いが濃くなってしまうし(^^ゞ
でも、なんかワクワクしてしまいます(爆)
この本とは関係ない話なのですが。
以前に雨の中、通勤のバスを待っていたときにふと考えたことがありました。
足元が、レンガ敷きの歩道だったのですが、レンガとレンガの間の隙間に、
苔が生えていたのですね。
それをぼんやり見ているうちに、ある考えが浮かびました。
たとえば、その苔の中に棲むある微生物が、ひょんなことで進化して知性を
持ったとして。
何百世代もの世代交代をする悠久の時のなかで、その微生物なりの科学が
進んで、苔の世界から一歩外へ踏み出したとします。
微生物たちはびっくり。
今まで自分たちが暮らしていた苔の世界とはまるきり違う、堅いレンガの世界
を発見したのだから。
そこからまた悠久の時が過ぎ、なんと苔の世界と煉瓦の世界は交互に存在
していることをつきとめます。
そして、それがいくつかすぎたあとは、断崖絶壁となっていることに気づいて
世紀の発見となるのですね。
そこまででも微生物たちにはものすごい発見であり、科学の進歩なのだけど。
人間から見たら、レンガ敷きの歩道の上の一歩分であり、断崖絶壁というのは、
たんに歩道と車道の段差でしかなく。
また、ミクロの世界の微生物たちにとっては世界は自分たちだけだと思って
いるのが、実は彼らには想像もつかないような大きな人間たちが多数闊歩し、
世界の果てと思いこんでいる断崖絶壁の向こうにはアスファルトの車道が
あって、彼らには想像もつかない車や自転車が行き交っていて。
さらにその向こうには草原があって川が流れ、頭上には大きな空が広がって
いるのに、彼らにはきっといくら時間があってもそれらの発見はできないので
あろうと。
彼らにとって、何百もの世代交代のあった悠久の時というのも、人間から見た
らほんの数日のことにすぎないのかもしれないし。
で、その人間も、じつは宇宙から見たらその微生物のようなちっぽけな哀れな
存在であるという。
そこまで考えたときにバスが来て、乗り込もうと顔を上げたとたん、軽くめまい
がしましたね。
だって、ミクロの世界からいきなり戻ってきたから(爆)
雨の朝の通勤で気が滅入っていた私を、神様が神秘のベールをちょっと持ち
上げて見せて、元気づけて下さったのかもしれませんね・・・な~んて、私の
しょうもない考えをつらつらと書いてしまいましたが(^^ゞ
あの世があるのか、生まれ変わりはあるのか、そもそもこの世界はいったい
どういうわけで、誰の意志で存在しているのか。
世の中はわからないこと、不思議なことで溢れていますね。
死ぬときはそれらの一端でもわかるのでしょうか。
まあ、生きている今は、とりあえず世界に溢れている未読の本を一冊でも減ら
していきたいもんです。
そうしたら、少しはわかることもあるかもしれませんしね

この記事へのコメント
私の一番尊敬する心理学トレーナー、レンシースぺさーノさんが以前ワークショップで、「この世にはあなたしかいない。だって、あなたの世界だから」っておっしゃってたのに通じるところがあるって感じました。
この壮大な戦いで、矢は尽き、刀は折れ(笑)
そもそもが蟷螂の斧であったとも言えますね(自爆)
ここにお仲間発見!
この手の話って、気をつけないとちょっとアブナイ人とか思われちゃったりしますもんね(笑)
この本のなかでも、この世というのは、それぞれの人が作り上げたバーチャルの世界だという考えもある、と書かれていましたね。そこまでいくとちょっとよくわからなかったのですが(笑)
肝臓のことですが、人は長い間粗食で暮らしていたから、できるだけ脂肪を取り込もうとするように肝臓は出来上がっているんだと思います。それが、ごく最近になって栄養豊かな食べ物を摂れるようになったから、以前と同じように取り込もうとして、取り込みすぎちゃうんじゃないか、と思っています(~_~)。
自殺する細胞というのも面白ですね。遺伝的に計画的にプログラムされていて、その細胞が、生物の生存に邪魔になったら、自殺するというシステムもあるようです。
まったくねえ、この世は、わからないことだらけです(^^♪。
この本とはまた別に読んだ本で、DNAの研究をしている大学の先生が書いていたのですが、ずっと無神論者だったけれどDNAを研究するようになって、こんな精巧なものが偶然にできるわけがないとしみじみ思い、神というか、宇宙の意思のようなものがあるに違いないと思うようになった、とありました。
ほんとうに不思議ですよね。死ぬときはそれらもすべてわかるんでしょうかね。ちょっと楽しみなような(^^ゞ
臓器が体のなかで繋がっていて、ひとつがダメになったら命にかかわるように、人と人も、あるいは宇宙もすべてが根っこのところで繋がっているんでしょうね。
・・・って、これも推測でしかありませんが(^^ゞ
いろいろ考えていると、なんだかワクワクするような、不思議な高揚感があります。これを若いうちから感じていた人たちが、研究者になっているのでしょうね。おばさんになってからでは、いささか遅すぎました(笑)
これもチェックしなくては。
この本とは関係なくてすいませんが
銀色夏生さんの「つれづれノート」⑰を
初めて読んでます。キーブーさんと笑うツボが
同じことがまたも証明されたみたい。
さっそくハマっています。
「人間は1つの宇宙である」その通りだと思います。21グラムの話も、私も別の本で読みました。これらって普通のことなのに、うちのこぶたたちも「ま~た宗教臭い話してる」なんて言うんですよ(-_-メ)
宗教色なんてこれっぽちもない話なのにね。
こういう話って、誰にでも通じるわけじゃないし、寂しいもんですよね。でも、miyoさんもそうとう詳しいようですね。嬉しいなあ、同志miyoさん(*^_^*)
この本だけでなく、この分野ってほんとに面白いです。マユツバなものも多いですが、それはそれで笑えるしね(^^ゞ
紹介した本を読んでいただけて、笑うツボも同じだったなんて、とても嬉しいです。
それにしても今回銀色さんは、急に恋愛に意欲的になってますよね。その熱もまた急に冷めるかもしれませんが(笑)
私は、存在と虚無の狭間で
一瞬の永遠を垣間見る
ボクもそんなことを時々考えます。
>とめどなく思考は巡り、私は、存在と虚無の狭間で一瞬の永遠を垣間見る
すごーい。詩的でありながら、あの時の私の気持ちを的確に表している感じ。脱帽です(*^_^*)
こういうことを考えていると、心が自由になるのを感じます。
とは言っても、はたから見てるとたんにおばさんがぼーっとしてるようにしか見えないんでしょうけど(笑)