面白い本だったけど、ちょっと めんどくさかったです ^^;
『人間臨終図鑑 』 という本の上巻をこちらに、中巻をこちらの記事で
紹介させていただきましたが。
最後に その下巻を紹介させていただいて、やっとこさ この本ともお別れ
でありますね(笑)
ということで、まずは その一部を

【73歳で死んだ人々】
山上憶良、伊能忠敬、良寛、グリム・弟、ダーウィン、児玉誉士夫
【74歳で死んだ人々】
白楽天、毛利元就、徳川家康、大岡越前守、サド侯爵、スターリン
【75歳で死んだ人々】
アルキメデス、鑑真、柳生宗矩、サルトル
【76歳で死んだ人々】
豊太閤夫人・ねね、勝海舟、アインシュタイン、ブレジネフ
【77歳で死んだ人々】
ロダン、犬養毅、出口王仁三郎、フルシチョフ、嵐寛寿郎
【78歳で死んだ人々】
ガリレオ、グリム・兄、イプセン、ルノワール、西条八十、ジョン・フォード
【79歳で死んだ人々】
法然、藤原定家、大久保彦左衛門、ガンジー、横溝正史、谷崎潤一郎
【80歳で死んだ人々】
釈迦、プラトン、世阿弥、カント、H・G・ウェルズ、幸田露伴、永井荷風、
ド・ゴール、入江助政、片岡千恵蔵
ふー

もちろん これはほんの一部だし、このあとも 『 81歳で死んだ人々 』、
『 82歳で死んだ人々 』 『 83歳で死んだ人々 』 と、延々続くわけで
ありますが。
ちょっともう入力作業に厭きた、じゃなくて、えっと

冗漫になっちゃうので、いったんこの辺でとめさせていただいて、と^^;
あ、そうそう。
『 冗漫 』 の意味はもう ご存知かとは思いますが。
私なんぞは、この言葉を使うにあたって ちょっと辞書で調べてみなくては
ならなかったくらい意味が曖昧というか、心許なかったんですよね^^;
なので、念のためにその意味を書いておきたいと思います。
『 冗漫 』 表現に締まりがなくてむだが多い こと。また、そのさま。
はい。
使用方法、間違ってはいなかったみたいですね(爆)
このまま入力作業を続けても、めんどくさい、じゃなくて、えっと

締まりのない記事になっちゃうだけでありますからね^^;
などと、文字数を使って延々と言いわけをしておりますが^^;
本題にかえります(笑)
このあと、目にとまった人を少しだけ挙げていくと。
ナイチンゲール、シュバイツァーは90歳。
ファーブル、ピカソは92歳で亡くなってます。このヒトたち、すんごく長生き
だったんですね

で、栄えあるトリを飾ったのは、皆さま ご存じのこの方、泉重千代さんで、
121歳でありました


でも、これについては異論もあるようで。
明治に戸籍法が実施される以前の自己申告による生年月日は ずさんな
ものが多く、泉家にも先に早く死んだ重千代という実子がおり、のちに養子
に来てその名も継いだ重千代がこれと混同されたのではないか、とも言われ
ているのだそう。
そういうことであれば 彼の正しい享年は106歳ということになるのですが、
それでもたいそうな長生きですよね(*^_^*)
ま、そんなに厳密にあーだこーだ言わなくたって いいんじゃないかと
私なんかは思ったりしたことでありました^^;
ということで。
最後に、ちょっとびっくりしたエピソードをひとつだけ紹介させていただきます。
87歳で死んだ葦原(あしはら)将軍という人なのですが。
明治・大正・昭和にわたって、日本じゅうに笑いを振りまいたヒーローであり、
癲狂病院(てんきょうびょういん)での彼の誇大妄想の言行録は 絶えること
なく新聞によって報じられた、と紹介されておりました。
癲狂病院(てんきょうびょういん)というのは、今でいう精神病院のことで
ありまして。
彼は 「 正三位 (しょうさんみ) 葦原将軍 藤原のモロミ 」 と号し、日の丸の
旗と 自分で作った木製の大砲をうしろに、メリヤスの股引(ももひき)に
フロックコートを着、訪問者が身分ある人間の場合は軍服にボール紙で作った
大礼帽をかぶって会見した、と書かれておりました。
ということは。
はい。
有名人でもなんでもない、ただの一般人の精神病患者の言動が面白い
からといって、新聞で紹介されていたのですね(@_@)
医者が入ってきて、
「将軍、お薬を持ってまいりました」
というと、悠然と髭をしごいて、
「そこへ置いとけ」
と、あごをしゃくって威容を示していたのだそう。
また、しばしば 「 勅語」 を発したのだそうで、いわく、
「世界内閣の改造につき、大蔵大臣に軍用金として百億万円の献納を命ず」
「世界輸出の目的をもって、博士が5千人ほど必要になるので、今年中に
濫造するように」
「インド自治国総長を置き、それをガンディーにやらせよ」 等々。
明治43年に 乃木将軍が用があって この病院を訪れたときは、
「尊公も旅順では随分と苦労したのう。ふたりの子どもを亡くしたのは
辛かったろう。ご苦労であった」
などと、真面目な顔をしてねぎらったのだそう。
いやいや。
たしかに面白いけれども(笑)
これって・・・現代では考えられないことですよね(~_~;)
もちろん、悪意があって物笑いのタネにしたというわけではない けれど。
それでも、今の時代にこれをやったら、大批判の嵐にさらされることは疑い
がないかと(~_~;)
そして、彼が亡くなったときは、その訃報がなんと朝日新聞で伝えられたのだ
そうで。
その記事を一部紹介しますと。
松沢病院の主 (ぬし) と言われた葦原将軍こと葦原金次郎が 二日午後
零時半、老衰で死んだ。
もう88歳、躁状態精神病者として明治15年に入院。半世紀の間に その
狂人ぶりは いろいろの話題を投げた。元櫛屋の職人だっただけに手先も
器用で、肩章などを造って自ら将軍と称し、病院でも特別に一室をあたえ
られていた。
なんか、スゴイですね^^;
この本の著者である山田風太郎氏も、
「身は精神病院にありながら、最も広く最も長く、人々に笑いを与え 人々から
愛されたことで、最も幸福な長命者のひとりだろう」
と書いておられます。
まあ、そうですね。
考えてみれば、とても幸せな人だったのかもしれませんね^^;
この記事へのコメント
お釈迦様は、80歳まで
この時代(どの時代かわからないけど
涅槃仏のようにして亡くなったのかな
ほら、片手を耳に当てて寝ているような
>葦原(あしはら)将軍
何かで読んだことがあります。
爆笑ものです
昔は寿命が短かったんでないの~~??と思っちゃうね^^
病が付いてきますが、昔は人生50~60年程
だったので、そういう心配はなかったの
でしょうね。
今回の73才で亡くなられた方々は、大変
有名な人ばかりなので、そんな暇なかった
と思います。
泉重千代さん、最初見たとき女性やと
思ってた(^_^;)
彼って言葉が出てきたので、森田検索したら
TVで見た事あるぅ~の方でした。
最後の葦原将軍、どこかで聞いた事あります。
どこぞの国の将軍様ももしかして・・(^_^;)
この本はちっともめんどくさくなかったんですけどね。それどころか面白かったです。めんどくさかったのは、「○歳で死んだ人々」の入力作業で(笑)
>ほら、片手を耳に当てて寝ているような
ああ、タイかどっかのお釈迦様ですよね? 休日のお父さんみたく寝ころんでる
んで、葦原将軍、ご存知でしたか。
私は初耳でびっくりしました。そっか、爆笑ものなのですね^^;
そう聞くと、もっと読んでみたい気がします(笑)
そして、いらっしゃいませ(*^_^*)
はい、図書館の棚には無くても、予約したらすぐに手に入ると思いますよ。上・中・下と、3冊あります
あら!手術で老眼解消ですか。いいなあ!
私は、近視・老眼ともに、だんだんひどくなってきてます。目がつらいったらもう・・・読書のスピードも堕ちてきてるし。いやですねえ(~_~;)
うん。昔の人って、病気になったら治すスキルが まだなかったからアウトだけど、そうじゃなきゃ、粗食でよく体を動かしてたせいか、けっこうな長寿の人が多かったりするよね。
あと、芸術家。まあ、ゴッホとかみたいに破滅型だと早死にだけど、基本は好きなことをやってるわけだから長寿が多いみたい。いいよねえ。うらやましい。。。
そうですよね。長寿は一見めでたいようだけど、そのぶん痴呆をはじめとする病気に罹る率が高くなりますよね。
なるほど。重千代さんだから、パッと見、女性の名前みたいですよね(^O^)
はい。テレビで何度かお見かけしました。亡くなるときも、ほとんど苦しまずに大往生だったようです。
あら、りーにんさんも、葦原将軍をご存じだったのですね。
私は、この本で初めて知ったんですよ。そんで、そんな「いじっちゃイケナイ人」をいじってたのか、昔は、って思ったのですが(笑)
まあ、時代ものんびりしてたんでしょうね。今なら大問題だ。。。
何がすごいって本人も、それを許容した周囲の人も、記事にした人たちも。
時代、といってしまうのは簡単ですが、こういうものを許容できた日本人はすごいなぁと思います。
図書館でこの本探せないんです!本気で探してきますね。
お忙しいなか、連投コメントありがとうございます
もしこの葦原将軍に家族があったなら、こういうかたちで記事になるのはちょっとイヤだったかもしれないですね。でも、そんなことを言える時代でもなかったのかも。考えてみると、気の毒な気もします^^;
あら!図書館に無かったですか。
お近くの図書館に無くても、リクエストしたら、近郊から探して取り寄せてくれますよ。私は以前、それでエドガー・ケイシーの本を一気に山ほど読んだことがあります。変人だと思われただろうなあ^^;