ヒンプク、ヒンプク。。。
今日からGWに突入ですね

ついこないだ始まったばかりの2014年も、もう半分近く過ぎてしまったとは。
カレンダーを見ては、ため息をついてしまいます^^;
カレンダーといえば。
わが家は、1ヵ月ごとにめくるカレンダーのほかに、日めくりの暦があるの
ですが。
本日は、こんなことが書かれておりました。
武器をつくり、髪をすくほかはいっさい凶。
葬送、大凶。
まあ、何種類かの決まった文言が順繰りに巡ってくるようになっているの
ですが。
知らないなら知らないですむことですが、いったんこういうのを目にしちゃうと、
何か予定が組んであっても、動かせるなら別の日にしようかな、などと考えて
しまったりしますよね^^;
ところで私は、古着や古タオルなどをしまいこんでいて、それを切っては
ボロ布として活用しているのですが。
揚げ物などのときに飛んだ油をさっと拭いたり、床の隅っこが一部分だけ
ホコリっぽいなと感じたら、このボロ布にシュッと霧吹きで湿り気を与えて
拭いて使い捨てにしたり。
・・・って。
このヒトはまた、いきなり何を言い出すんや、と思われたでしょうが(笑)
こういうボロ布を用意するとき、つまりは古着の裁断ですが。
その日の暦にこういう文言があると、躊躇してしまうんですよね。
衣類裁断 大凶
衣類裁断すれば別離の悲しみに遭う
ひええ~~

知らなきゃすむことなのに、知っちゃったためにボロ布づくりはできなくなって
しまいます。
そうすると、もうボロ布のストックが無かった場合、飛んだ油は台拭きで拭き
とってその後きっちり洗剤で洗わなくてはならなくなるし、床のほんの少しの
ホコリも、ちゃんと雑巾とバケツを出してこなくてはならなくなるのですね(笑)
まったくもって、不自由なことであります(~_~;)
でもま、このくらいなら別にどうということはありませんが。
以前に読んだ幕末の話のなかの ある公家のエピソードには、呆れたを
通り越して脱力しちゃったんですよね。
ずいぶん前に読んだ本なので、その公家の名前などは忘れてしまったの
ですが^^;
幕末といえば未曽有の国難のときであり、武士や公家などの身分の違いに
関係なく、日本じゅうが混乱を極めていた時期ですよね。
そのさなかにあって、このお公家さん(かなりの実力者です)は、
「ヒンプク、ヒンプク」
と小さくつぶやきながら道を歩いています。
しばらくして自宅の門の前に帰りつき、門をくぐったところ。
ひと足歩くごとにヒン、またひと足歩くとプク、と言いながら歩いていたの
ですが、最後に門をまたぐ足がヒンで終わったのですね。
すると、
「いかん、いかん」
と大慌てで もう一度門から外へ出て、プクで門をまたげるように按配
して、家に入りなおします。
これ、いったい何かというと。
ヒンは貧、プクは福。
ひと足ごとに貧・福と唱えながら歩き、家の門をくぐるときや最後のひと足は
『福』で終わるようにゲンを担いでいたのですね。
いやいや~

アンタ、この日本史上屈指の国難のときに、いったい何をやっているのだね、
と思った私。
こんなふうだから、お公家さんは平安時代以後、衰退の一途を辿ることに
なったのだなあ、なんて思ったものでしたが。
そうは言っても、すべての公家がこんなふうだったわけではなく、明治維新に
ひと役もふた役もかった公家もたくさんいましたけどね。
ただ、私がすごく印象深かった公家といえば、以前、テレビでやっていた
『柳生一族の陰謀』に出てくる烏丸少将(からすま しょうしょう)。
主役は千葉真一演じるところの柳生十兵衛でしたが。
その敵役として出てくる烏丸少将が、なんとも凄味のある人だったんです
よね。
今は亡き成田三樹夫が演じていたのですが。
眉を剃って額に置き眉をし、お化粧をして唇には紅をさし、笑うときは
手に持っている杓で口元を隠しながら、
「ほほほほ」
なんて、シナを作って笑っているのですが。
いざ、十兵衛と切り合いを始めるや、その腕前は互角。
いきなり目ヂカラ鋭く、剣を繰り出してくるのですね。
あれは何というか・・・不思議な魅力に満ちていて、今もなお私の脳裏には
あの妖怪じみた烏丸少将の姿がありありと浮かぶほど。
『柳生一族の陰謀』、再放送してくれないかなあ。
・・・って。
何の話をしてるんだったか(^^ゞ
そっか、暦の話でしたね。
ま、こういうのにとらわれすぎてがんじがらめになっちゃうと、生活が窮屈で
味気ないものになってしまいますよね。
ほどほどのところで、いいことだけを心に留めていきたいもんです^^;
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